子育て

諦める(あきらめる)の本当の意味を知ると前向きにあきらめられる!

「あきらめる」ことは悪いことなのか。あきらめることは悪いことという概念があります。しかし本当にそうでしょうか。疑問に思ったので考えてみました。「あきらめたら終わりだ」とよく言われます。「あきらめないで頑張ろう」とそんな言い方をよく耳にします。「諦める(あきらめる)」という言葉の意味をみると、「希望や見込みがないからやめる・断念する」とあります。確かにあきらめたらその時点で目的の達成はできなくなる意味では正しいと思います。早くあきらめて方向転換すべきだったのにあきらめきれずに泥沼に入ってしまうこともよくあります。問題はあきらめるかどうかにあるのではなく、目的が本当に正しいかどうかにあるような気がします。目的を精査して、正しければ続ける、間違っていればあきらめて方向転換するということかなと思います。



諦める(あきらめる)の本当の意味

「諦める」の「諦」の字を漢和辞典で調べると「つまびらかにする。いろいろ観察をまとめて、真相をはっきりさせる。まこと」とあり、悪い意味は一つもありません。諦の意味は日本語では「明らか・明らかにする」に近いのです。実際に日本語の「諦める」と「明らか」は言葉として同源です。諦めるにはもともと「真理をあきらかにする」という意味がありました。物事の真実の姿やありさまを明らかにすることで、やっと諦められるというニュアンスを含んでいました。ところが日本語ではいつの間にか「明らかにする」という大切な土台がゴッソリ抜け落ちて、望んでいることを途中でやめるという意味ばかりで使われるようになってしまったようです。諦めることは悪いことではなく、真理を明らかにすることです。「やめたい」ことがあるのなら、本当に自分が求めているものはなにか、何か無理をしているのではないか、その無理はどこから来ているのか等、可能なところまで掘り下げて真理を追究することです。「いつどんな時でも変わることのない物事の正しい筋道」を見つけるということです。

とかく目先のことばかりに目が向いてしまい、手段が目的になってしまうことはよくあります。小学校からやってきたテストも、目先の良い点数を取るのが目的ではありません。テストの目的は「わからない所をはっきりさせる」ことです。80点取ることが目的ではなく、間違った20点について勉強し直すことが目的なのです。このたとえ話は子供を持つ親として目からうろこのような話です。学校でテストのことをこのように説明できる先生は殆どいないでしょう。このように、物事が明らかになった時のキーワードが「仕方がない」や「当たり前」という言葉で、「あきらめる」ための魔法の言葉です。中途半端な諦めではなく、物事の真相を明らかにした上で諦めたことは、堅固な屋台骨として人生を支え、心おだやかなに人生を歩く上で堅牢な杖になります。

そしてたとえ真理を明らかにしても、そこから対策を立て、次の実行をしなければ単に「やめる」ことと同じになってしまいます。
何が本当なのか、その筋道とはいかなるものかに沿ってしっかりと対策を立て実行することで、今までとは違う「諦め」になります。単に放り出したのではなく、真理を明らかにしてそれで「やめる」という結論を導き出したならば、残念な気持ちは沸いてこないと思います。何かを「諦める」と、それに取られていた時間や心の余裕を手にすることができます。それはまた違う何かにチャレンジすることができるということです。しっかりと真理を見極めたうえで何かを諦めたからこそ違うことが始められる、違う可能性が開ける、そう考えると「諦める」ことに対するイメージが全く違うものになります。諦めないことにも大きな意義があります。でも諦めることは逃げることだといったマイナスイメージによって、何かを我慢することを正しいとはいえません。諦めずに成し遂げたいことなのか、諦めたらいけないと思い込んで頑張っているだけなのか、何か心に引っ掛かりがあるなら一度真理を追究してみることです。そして自分の気持ちに正直に行動すれば、前向きな「諦める」という道がきっと開けてくるはずです。

諦める(あきらめる)の本当の意味のまとめ

諦める(あきらめる)の本当の意味は真理を明らかにすること。諦めるか諦めないかの判断は真理を知ってから行う。真理に基づく諦めであれば前向きに次のステップに行ける。マイナスイメージに惑わされて諦めきれずに我慢して続けることに意味はない。

この記事はあくまで主観で書いていますので、内容についてはしかるべき情報を確認ください。

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